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八重山の旅9 「七年ぶりに見る黒島の豊年祭1」 [八重山]

黒島の豊年祭「旗頭」

七年ぶりに見る黒島の豊年祭。今までは民宿の手伝いなどで全ての芸能を見ることができなかったので、今回は最初から最後までしっかり見ようと、風通しが良く、日よけになる木々の下を選んで場所を取りました。
白い砂地は眩しく、かつて見た海の色と変わらずに、浜から沖へと美しい青の濃淡は、本当に美しいものでした。黒島の海を描くには、何色もの青系の絵の具を作らなくてはならないのでしょう。そして、幼い頃からこの色合いを見ている子ども達に海を描かせたら、どんなふうに描くのだろうと思いました。
白い砂に集落ごとの色鮮やかな四本の旗が映え、風に揺られる中、今年も豊年祭が始まりました。公民館長はじめ招待者の挨拶のあと、いよいよ仲本と宮里のパーレー競漕です。

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豊年祭の意義と由来

黒島の豊年祭は、すべての穀物が収穫を済ませた旧暦の六月に、今年の豊作を神に感謝するとともに、来年世(やいねーゆー)すなわち翌年の豊穣を祈願するため、島を挙げて行われます。祭りの中心は、なんといってもウーニ競走と爬竜船競漕であります。
その昔、各島では琉球王府の命令により、農作物の増産督励を目的とする作付け面積を競う原勝負(ぱるすーぶ)が、年中行事として行われていました。
ある年のこと、黒島では、原勝負が引き分けとなったため、広場での綱引き、はては海上での船漕ぎ競争にまで持ち込まれ、ようやく勝敗を決したそうです。
ところが、その年はかつてない程の豊年満作となり、それ以来、黒島の人々は、世果報世(ゆがふゆー)、弥勒世(みるくゆー)は、大渡(うぶどぅー)、海渡(いんどぅー)からもたらされるものであると固く信じ、世請い(ゆーくい)神事としての豊年祭を、海上における爬竜船漕ぎを中心に行うようになったということです。

黒島公民館資料より

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投稿者:ゆんたく


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